烏龍茶の歴史  製法  種類  健康と烏龍茶  喫茶コーナー  通信販売 

中国のお茶の歴史は、今から4700年前、紀元前2700年頃に遡るとされています。

現存する中国最古の薬学古典「神農本草経」には、中国の伝説上の王である神農が、初めてお茶の味を知り、まて、お茶のさまざまな効用を発見したとあります。

例えば「心に安らぎを与え、気力を養う」「肥満や老化を抑制する」といった現代人にとっても魅力的な効能に関する記述も残されています。

ただし当時のお茶は、神への供物の一つとされ、また漢方薬のようにさまざまな病気に効能がある貴重な薬として用いられていました。今日のように一般庶民が日常生活の中で飲むまでには至っていなかったようです。

茶の樹の原産地についていろいろな説はありますが、中国の南西部にある雲南省(うんなんしょう)であることは一番有力だとされています。

中国南部にある福建省武夷山は、宋の時代からお茶の産地としてとても有名です。年間の平均気温が摂氏十八度、朝晩の寒暖の変化が激しく、霧が発生しやすい気候がお茶の栽培にぴったりの自然条件だったのです。

元の時代には皇帝の御茶園が作られ、武夷山の貢茶の名声は一段と高まりました。またおいしさを追及する創意工夫にも拍車がかかることになりました。

明の後半になると、武夷茶の最も理想的な発酵状態とされる「三紅七緑」(茶葉の三割の部分が発酵して、未発酵部分が七割と言う状態のこと)の原型が作られ、現在の武夷岩茶の前身がはじめて作られたのです。これで究極のお茶として皇帝献上茶にふさわしい深い香りと味わいを持つ、烏龍茶が誕生しました。今こそ世界中で親しまれている烏龍茶ですが、絶対権力者である皇帝に献上するため、まさに人智を尽くして開発されたお茶だったのです。

清代に入って、咸豊(かんぽう)年間(1851年―1861年)に、四大名叢(めいそう)と呼ばれる大紅袍(だいこうほう)、鉄羅漢(てつらかん)、白鶏冠(はくけいかん)、水金亀(すいきんき)が出現したことで、武夷岩茶は隆盛を極めました。

福建南部の安溪に烏龍茶が伝われたのも清代になってからのものです。烏龍茶の本場の北部武夷山から移ってきた茶の木が南部の適地に恵まれ、その中から更なる優良品種が開発され、安溪も烏龍茶主産地の一つとして知られました。


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